発掘調査で瓦を焼くための窯の跡が発見されたって話は珍しくないんだけど。

日本史は好きだけど、幕末と瓦に関係する歴史にしか興味がないそこそこ歴史好きな屋根屋オカです。こんにちは。

日本史って興味を持って詳しく調べてみるとなかなか面白いことや身近なことがあったりして、好きな人も多いですよね。
ボクもまあ好きな方なんですけど、そんなに詳しくはなくて、日本史は瓦の歴史との繋がりも多くて瓦の歴史に関係することは調べて興味がある程度なんです。

瓦の歴史の中でボクが特に注目すべきところは、飛鳥時代の瓦の伝来、瓦が進化する鎌倉時代、室町時代、瓦が広く普及するきっかけとなった「瓦葺きの奨励」が布告された江戸時代中期なんですが、最近奈良市にある興福寺の以前の境内の発掘調査で、瓦窯の跡が発掘されたというニュースがありました。

南都焼討

昔はほぼ日本全国で瓦が製造されていたので瓦窯の跡が発掘されるのはそれほど珍しいことではないのですが、今回発掘された瓦窯の跡は平安時代に平氏が奈良の寺院を焼き討ちにした「南都焼討」の際に焼き討ちで失われた興福寺の再建のための瓦を焼いた瓦窯の跡ではないかと考えられています。

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歴史に興味のない人でも源氏と平氏の戦いの源平の合戦は知ってますよね。
そんな源平の合戦の中で平氏が奈良の東大寺や興福寺などの寺院を焼き討ちにしてしまったのが「南都焼討」なんです。

「南都焼討」
治承4年12月28日(1181年1月15日)に平清盛の命を受けた平重衡ら平氏軍が、東大寺、興福寺など奈良(南都)の仏教寺院を焼討にした事件。平氏政権に反抗的な態度を取り続けるこれらの寺社勢力に属する大衆(だいしゅ)の討伐を目的としており、治承・寿永の乱と呼ばれる一連の戦役の1つである。

有名な源平の合戦の中の一つが平氏による「南都焼討」で、この焼き討ちによって東大寺、興福寺などの貴重な寺院が焼き討ちされてしまったわけですが、その焼き討ちで焼失してしまった興福寺の再建のために大量の瓦を焼いた瓦窯が今回発掘された瓦窯ではないかと見られています。

興福寺

興福寺

焼失してしまった建物の再建に使う瓦をその場で焼いて作るというのは今では考えられないことですが、輸送の手間やコストを考えると非常に合理的でいい方法ですよね。

ちなみに東大寺の再建の瓦は主に岡山県で焼いて瀬戸内海を船で運んだらしいですけどね。
しかしそれはそれで交通手段が発達している現在ならまだしもあの時代では、なかなかスケールの大きな話ですよね。


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岡 公司
播州瓦工業株式会社 専務取締役 岡 公司です。 生まれ故郷、国産みの島淡路島の土から生まれる瓦の独自の価値をもっと伝えたくて瓦の価値を伝えることをメインにブログを書いてます。 自分の好きな事、楽しい事をFacebook、Twitter、Instagram、ブログ、ニュースレターで発信しています。 エクスマ75期 ニックネームは小池さんです。